何回ウソをついただろう

去年は何回ウソをついただろう。ふと年始に思う。

ウソは絶対悪じゃない。ウソは時にはコミュニケーションの潤滑油にもなると思う。(※ウソを推奨したいわけではないので予めご理解を)歴史にこんなエピソードがある。

竹中半兵衛が信長に対してウソをついたから、官兵衛の息子松寿丸(後の長政)は死なずに大人になれた。

半兵衛は何故ウソをついたのだろう。

自分のためか。バレたら相手は信長、先は見えてる。

それでも自分のためか、それとも…どんなウソなら許されるだろう。

どんなウソなら愛おしく思えるだろう。

そんなウソなら今年もつこうか。もちろん、素直で正直が基本だけども。

How many times did I lie to you last year?
At the beginning of the year, I wondered.
Lying is not an absolute evil.
I think that sometimes lying can be a lubricant for communication.
(*Please understand that I don’t mean to recommend lying.)
There is an episode in history.
Because Hanbei Takenaka lied to Nobunaga, Kanbei’s son Shojumaru (later Nagamasa) was able to grow up without dying.
Why did Hanbei tell a lie? Was it for himself?
If he was found out, he would be dealing with Nobunaga, and he knew where he would end up. Was it still for himself or…
What kind of lie would be forgiven?
What kind of lie would make me feel lovable?
If it’s a lie like that, shall I tell it again this year?
Of course, the basic rule is to be honest and truthful.

投稿者: さるたぬき

こんにちは、さるたぬきです。 人生折り返し地点くらいまで来たかなと思っています。 そこで、新しいことを始めようということでブログを書くことにしました。 これまで生きてきた経験、それを踏まえて培ってきた知識、価値観など、そしてこれからについて徒然なるままに書き残していこうと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。

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