桜のように惜しまれたるか

博多ももうすぐ桜が咲き始める。まだ咲く前なのに、散る頃に思いを寄せる。というのも、先日、ある人の最後の仕事に立ち会ったから。お客様相手のサービスの仕事。お客様に今日が最後である事を伝えると、「残念」「これからもあなたが良いのに」と惜しまれていた。本人も、「お客様からあんな風に言ってもらって嬉しい」と言ってた。私にすれば、気付きをもらった瞬間でもあった。…人生、いつかはどんな形になるかはそれぞれだけど、去る時、別れる時、離れる時がくる。その時に、惜しまれる人となるか。どういう姿勢で過ごしていたら、「その時」に惜しまれるのか。桜がヒントをくれているのではないかと毎年思う。散る前は満開。散る前は一生懸命。どうせ散るんだからと、消化試合みたいな気持ちで絶対に咲かない。…毎年、反省しながら桜を眺める。例えば、私が仕事の環境が変わるとして、例えば、私が福岡から離れるとして、惜しまれるに値する人たるか…日々の姿勢が問われるなと考えさせられる。「その時」を迎える時ほど、一生懸命に咲かなければと思う。

投稿者: さるたぬき

こんにちは、さるたぬきです。 人生折り返し地点くらいまで来たかなと思っています。 そこで、新しいことを始めようということでブログを書くことにしました。 これまで生きてきた経験、それを踏まえて培ってきた知識、価値観など、そしてこれからについて徒然なるままに書き残していこうと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。

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